ガイア・地球に生きるスローライフの日々と民族楽器の音と・・スローライフを生きています
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ヒーリングミュージックのこと

わたし達、特に夫は40年以上インド音楽の演奏を生業としていますが、彼から聴いた少しおもしろい話をしてみようと思います。

音楽を使った古代の治療の話しでした。

 インドヒマラヤのガンジス河上流にある村、その村に天文台があって、夫はその天文台の主人と仲が良かったそうで、いろいろな話を聴いたそうですが、彼はまた占星術の大家でもあったそうです。

・・以下夫(伊藤公朗)の話です。

 

 天文台の主人は「インド音楽の持つ不思議な力は、まさにマントラ(真言)の持つ力と同じなんですよ」と前置きされると、話を始められた。

 ラーガという音階の音の配列は、決して偶然に生まれたのではなく、長い時の流れと歴史の中で必然的に生まれたものだという。そして個々のラーガの 持つ決められた時間に、正確にそのラーガを奏でると自然界(人間も含む)に本来あるべき調和がもたらされ、逆に時間を無視して不正確なラーガを奏でた場合 には、不調和を起こしてしまうのだとも言われた。

 ヴィーナ(インドの弦楽器)の音に耳をかたむけている野生の鹿たち。

 その話を聞きながら、おそらく古代人たちは心身ともに純粋無垢であり感受性も相当豊かだったのだろうと、想像した。時代が流れて現在に近づくにつ れて鈍感になり、自然に対する感謝を忘れてしまった現代人には、こんな話が通じるのかどうかは、僕自身にも何とも言えないのだった。

 

 

 そんな不思議とも思える力は、僕のようにまだまだ未熟な演奏家の音にも宿ることがあるよう で、コンサートに来て演奏を聴いていただいた方々の中にも、ステージを降りた後の楽屋などに、「腰痛が消えました」とか「肩こりが治りました」などと、わ ざわざお礼を言いに来て下さる方たちがいる。信じられないような話かも知れないが、事実で、むしろ当然と受け止めた方が自然なのかも知れない。

 

 最近というか、ここ10年〜20年くらい前から、花などの植物や様々な野菜に音楽を聴かせて、どういった影響を及ぼすかという研究があるそうだ。酒造りなどにも応用されているという話を耳 にされた方も少なくないかも知れない。西洋のクラッシックやジャズ、ロックやブルース、ポップスなどあらゆるジャンルの音楽を聴かせ、その成長ぶりや味な どを見るのだが、そんな中で植物や野菜をいちばんリラックスさせ、その成長を促すのがインド音楽だという研究結果が出ているらしい。

 

 日本でも、ヒーリングミュージックなどという表現を目や耳にされたことはないだろうか?いわゆる「癒しの音楽」というもので、それを聴けば心身ともにストレスから解放されていく・・というものだ。

 インドでは、数千年も前から音楽の持つ治癒力の研究がなされ、しっかりと体系化されて受け継がれてきていて、それはシタールに限ったことではなく、インド音楽すべてに共通している。

 

 

お時間のご都合がつきましたら、ぜひお出かけください。お待ちしておりま〜す。

 

<伊藤公朗シタールライブ>

 

7月12日(水)

at:<音や金時>杉並区西荻北2-2-14 喜志コーポB1
Tel: 03-5382-2020

シタール演奏: 伊藤公朗 ・タンブーラ:伊藤美郷 
open:18:30
start:19:00 
charge:¥2300

 

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posted by Anjali Music | 18:42 | ミュージックライフ | comments(0) | trackbacks(0) |
シタール・レッッスンを再開します。

 お知らせです!

 

korolin

  

 
  

2011年3月以降、閉じていましたシタールレッスン「東京深大寺クラス」を、山梨県甲府市の自宅で再開いたします。

レッスンに通 われていた方々、新しくシタールのレッスンを始められたい方々、ご連絡をお待ちしています。

少し時間がかかりましたが、よろしくお願いいたします。

      連絡先:090−3585−3388 伊藤公朗 (メッセージでもOKです。)

 

参考記事:「東京深大寺クラス」の風景 「シタール合宿」 ↓

 

・・・前略

二人の生徒さんからレッスンの予約が入っていた。
終電もなくなってしまうし、当然時間的に無理。
それに、夜、二人のレッスンは音のこともあるし・・やっぱり無理。

一人の生徒さんは、ちょうど翌日仕事が休みなので泊まって次の日、ということに。
・・・で、
「こんどのレッスンは、一泊2日の合宿だからね」と言うことになった。

結局その夜は、詩人であるレッスン場を提供してくれている主と、彼女の息子(娘の夫)であるピアノ調理師と
近所に住んでいて、自転車でやって来た「京ことば源氏物語」の語り部と

すぐそばの自宅から、歩いてやって来たジャズピアニスト大口純一郎ご夫妻と、
そして、我らシタール合宿参加者4名の・・

過ぎ行く秋を忍びつつ・・なのか、始まったばかりの冬を楽しむ宵・・なのか
忘年会・・なのか?

とにかく心地良い大宴会だった。
深大寺でのシタールレッスンはこんな風なことが、結構多い。

でも、生徒さん達は確実に上達している。
のんびりと・・
ゆっくりと・・
そして
心から楽しみながら・・

 

 

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posted by Anjali Music | 13:58 | ミュージックライフ | comments(0) | trackbacks(0) |
こんな夕暮れに
インド音楽シタールの奏者伊藤公朗ファミリーバンド<Anjali Band>のライブ映像をアップしました。
ヒマラヤのナーダヨギから受け継いだメロディーにインドの農村風景(日本の山里にも繋がり)を歌います。
インドの詩人ラビンドラナート・タゴール、「園丁」から。
スヴァラマンダラ:伊藤公朗
ヴォーカル:伊藤美郷
ギター&コーラス:伊藤快

 

 

 

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posted by Anjali Music | 15:05 | ミュージックライフ | comments(0) | trackbacks(0) |
ジャズピアノとインド音楽シタールのほとんど即興ライブ

2012年5月、甲府桜座で企画していた<シタールファンタジア>のVOL.10。
最初は数年前、友人宅での新年会で、ピアニスト大口純一郎氏とプライベート空間での音遊びでしたが・・。

いかがでしょうか・・ぜひお聴きください。(インド音楽シタール奏者伊藤公朗のサイト

 

 

 

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posted by Anjali Music | 09:31 | ミュージックライフ | comments(0) | trackbacks(0) |
第2回音とアートのワークショップ

音とアートのワークショップ

 

 

☆音とアートのワークショップは、アーティストとして活 動する夢や喜びをみんなでシェアするライブイベントです 。「何だか気になるな〜と」感じたら、思い立ったが吉日 ♪ どうぞ参加してみてください。みんなで叶えよう〜み んなの夢。

 

5月27日(土)
at:<杜のホールはしもと8F>
神奈川県相模原市緑区橋本3−28−1

シタール:伊藤公朗
アンジャリバンド<ANJALI BAND>
シタール: 伊藤公朗 ・唄・タンブーラ:伊藤美郷・ギター&コーラス: 伊藤快 

start:18:30~21:00
参加費:¥2000
ご予約・お問い合わせ:info@slowna.com /090-6527-9450(西田)
主催:スローナミュージック(株)

 

 

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posted by Anjali Music | 18:30 | ミュージックライフ | comments(0) | trackbacks(0) |
信州上田の<ご縁花咲く聖天祭>@海禅寺

 真田昌幸公が上田城鬼門除けの寺として海禅寺を建立して以来、境内にてお守りしている聖天さん。 聖天さんとは、象の頭を持ったインドがルーツの神様で、密教独特の仏様です。
  また十一面観音と双身(夫婦の姿)で祀られ、あらゆる神仏の中で最も強い力を持つと言われています。 特に金運・商売繁盛、恋愛・良縁成就、夫婦和合・家族円満、子授け、学業成就に霊験あらたかです。 そうした聖天さんにご縁を持っていただくために開く、聖天祭(しょうてんまつり)は今年で6回目となります。

 

  わたし達ANJALI BAND(アンジャリバンド)も本堂で演奏をさせていただきます。聖天様に心からの感謝でいっぱいです。毎年盛況の「まんだらマーケット」、今年も盛りだくさん!日曜日はぜひ信州上田の<聖天祭>で心豊かなひとときをお過ごしください・・・!!

http://kaizenji.jp/cms/wp-content/uploads/2017/05/seitenmatsuri2017-748x1024.jpg

 

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posted by Anjali Music | 10:06 | ミュージックライフ | comments(0) | trackbacks(0) |
悲しみの底にいたパティ・スミスを救ったボブ・ディラン

悲しみの底にいたパティ・スミスを救ったボブ・ディラン(TAP the POP より)

 


最愛の夫、そして実の弟。
わずか1ヶ月の間にパティ・スミスは大事な家族を2人も亡くした。

 

1975年に『Horses』でデビューしたパティは、ニューヨーク・パンクの中心で活躍するも、1980年に元MC5のギタリスト、フレッド・スミスと結婚、子育てに専念するため音楽活動を休止していた。

 

 

 

 

 

 

 

悲劇が訪れたのは1994年11月4日。

パティはアーティスト活動を再開し、夫のフレッドと一緒に新作アルバムの制作に取り掛かっていた。

だがその日、フレッドは心臓発作により45歳という若さで突然この世を去ってしまう。 独り残されたパティを、マネージャーでもある弟のトッドは付きっきりで懸命に励まし続けた。

 

だが、今度はその弟までもが脳溢血であの世に旅立ってしまったのだ。 パティは悲しみの底に沈み、アルバム制作は中断してしまう。 年が明けると、パティは少しずつイベントなどでファンの前に姿を見せるようになった。 だが夫と一緒に作っていたアルバム制作だけは再開することができなかった。

 

そんなある日、パティのもとに連絡が入る。 彼女が最も尊敬するミュージシャン、ボブ・ディランからで、一緒にツアーを回らないかという相談だった。 それは前に進むことが出来なくなってしまったパティへのディラン流のエールだった。

 

「パラダイス・ロスト・ツアー」(失われた楽園)と名付けられたそのツアーは1995年の12月7日から10日間に渡って催され、2人によるデュエットも実現する。

ディランが「自分の曲から好きなものを選んでくれ」と提案すると、パティは「Dark Eyes」という曲を選んだ。

 

「あまり知られていない歌だけど 本当に詩が美しいのよ」

 

知られていないのは当然で、それはディランがもっとも歌うのを苦手とする曲の一つであり、ほとんど人前で歌ったことがないからだった。

「上手く歌えないんだ。どのキーにすればいいのかがよく分からなくてね」

だが、ディランはパティの選曲を断ることはしなかった。


私は別の世界に生きている
そこでは生と死が忘れられることはない
地球は愛の真珠で結ばれ
見るもの全てが暗い瞳をしている

 

 

ディランとのツアーをきっかけに、再び前に進む力を手に入れたパティは作りかけのままだったフレッドとのアルバム制作を再開し、翌1996年7月に8年ぶりとなるアルバム『Gone Again』を発表するのだった。

 

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posted by Anjali Music | 13:27 | ミュージックライフ | comments(0) | trackbacks(0) |
授賞式でパティ スミスが歌ったA Hard Rain’s A-Gonna Fall

パティ・スミス、ノーベル賞授賞式でのパフォーマンスを振り返る

 

patti smith

 

パティ・スミスが、『New Yorker』誌にエッセイを掲載し、ノーベル賞授賞式でボブ・ディランの曲をパフォーマンス中、口ごもってしまった理由を説明した。

 

 

「前略・・・そのときから、暇さえあれば練習し、全ての節を覚え歌うことができるよう尽力しました。自分も青い目の息子を持ち、喜びと決意を抱きながら、歌詞をオリ ジナルのキーで何度も何度も口ずさんでいました。作られたものそのままに歌おう、そして自分にはできるとだけ考えました。新しいシャツを買い、髪の毛を切 り、準備万端だと思いました」

「ノーベル賞授賞式の朝、不安とともに目が覚めました。土砂降りで、雨は激しく振り続けました。着替える際、自信を持って曲を繰り返し歌っていました。・・・中略・・・コンサート・ホールに着いたころには、雪になっていました。オーケストラとのリハーサルは完璧でした。自分の楽屋にピアノ があり、紅茶と温かいスープが持ち込まれました。みんながパフォーマンスを楽しみにしているのは承知していました。全てが私の前にありました」

  ・・・中略・・・

「そして突然、時間がきたのです。オーケストラは、王、皇族、受賞者たちが座る、ステージを見渡すバルコニーに配置されました。私は指揮者のとなりに着席 しました。式は予定通り進行し、私はヘルマン・ヘッセ、トーマス・マン、アルベール・カミュら過去の受賞者が王のもとへ向かいメダルを受け取るところを想 像していました。そして、ボブ・ディランの文学賞受賞がアナウンスされ、私は心臓が激しく鼓動するのを感じました。彼への感動的なスピーチが読み上げられ た後、自分の名が呼ばれるのが聞こえ、立ち上がりました。まるでおとぎ話のように、私はスウェーデンの王や王女、世界の偉人たちを前に立ったのです。全て の言葉がそれを書いた詩人の経験や立ち直る力をエンコードした曲と共に」

「オープニングのコードが始まり、自分が歌っているのを耳にしました。最初の一節はまずまずで、ちょっと震えていましたが、このさき落ち着くだろうと確信 していました。しかし、その代わりに、私はあまりにも多くの感情に襲われ、そのあまりの激しさに圧倒され、それらをコントロールすることができなくなった のです。目の端からテレビ・カメラの巨大なブーム・スタンドやステージの上の高位な人々を見ることができました。これほど圧倒されるような緊張には慣れて おらず、続けることができませんでした。私は、自分の一部となった歌詞を忘れたわけではありません。ただ単に、それらを口に出すことができなかったので す」

パティは席に戻った際、失敗したと恥ずかしくて仕方なかったと同時に、その部分の歌詞が「I stumbled alongside of twelve misty mountains」に始まり「And I’ll know my song well before I start singing」で終わるところだったのに気づき、「本当にあの歌詞の世界に入り込んだという奇妙な実感を持った」という。

翌朝、朝食でノーベル賞受賞者たちに会ったとき「いいパフォーマンスだった」と言われ、「もっと上手くできたらよかった」と答えると、「いやいや、僕らには、君のパフォーマンスは僕ら自身の葛藤のメタファーに見えた」と優しい言葉をかけられたそうだ。

 

 

A Hard Rain’s A-Gonna Fall    Written by: Bob Dylan

 

Oh, where have you been, my blue-eyed son?
Oh, where have you been, my darling young one?
I’ve stumbled on the side of twelve misty mountains
I’ve walked and I’ve crawled on six crooked highways
I’ve stepped in the middle of seven sad forests
I’ve been out in front of a dozen dead oceans
I’ve been ten thousand miles in the mouth of a graveyard
And it’s a hard, and it’s a hard, it’s a hard, and it’s a hard
And it’s a hard rain’s a-gonna fall

Oh, what did you see, my blue-eyed son?
Oh, what did you see, my darling young one?
I saw a newborn baby with wild wolves all around it
I saw a highway of diamonds with nobody on it
I saw a black branch with blood that kept drippin’
I saw a room full of men with their hammers a-bleedin’
I saw a white ladder all covered with water
I saw ten thousand talkers whose tongues were all broken
I saw guns and sharp swords in the hands of young children
And it’s a hard, and it’s a hard, it’s a hard, it’s a hard
And it’s a hard rain’s a-gonna fall

And what did you hear, my blue-eyed son?
And what did you hear, my darling young one?
I heard the sound of a thunder, it roared out a warnin’
Heard the roar of a wave that could drown the whole world
Heard one hundred drummers whose hands were a-blazin’
Heard ten thousand whisperin’ and nobody listenin’
Heard one person starve, I heard many people laughin’
Heard the song of a poet who died in the gutter
Heard the sound of a clown who cried in the alley
And it’s a hard, and it’s a hard, it’s a hard, it’s a hard
And it’s a hard rain’s a-gonna fall

Oh, who did you meet, my blue-eyed son?
Who did you meet, my darling young one?
I met a young child beside a dead pony
I met a white man who walked a black dog
I met a young woman whose body was burning
I met a young girl, she gave me a rainbow
I met one man who was wounded in love
I met another man who was wounded with hatred
And it’s a hard, it’s a hard, it’s a hard, it’s a hard
It’s a hard rain’s a-gonna fall

Oh, what’ll you do now, my blue-eyed son?
Oh, what’ll you do now, my darling young one?
I’m a-goin’ back out ’fore the rain starts a-fallin’
I’ll walk to the depths of the deepest black forest
Where the people are many and their hands are all empty
Where the pellets of poison are flooding their waters
Where the home in the valley meets the damp dirty prison
Where the executioner’s face is always well hidden
Where hunger is ugly, where souls are forgotten
Where black is the color, where none is the number
And I’ll tell it and think it and speak it and breathe it
And reflect it from the mountain so all souls can see it
Then I’ll stand on the ocean until I start sinkin’
But I’ll know my song well before I start singin’
And it’s a hard, it’s a hard, it’s a hard, it’s a hard
It’s a hard rain’s a-gonna fall

 

 

「雨が激しく」A Hard Rain's A-Gonna Fall(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

どこへいってた? 青い目の息子
どこへいってた? かわいい息子よ
躓いてしまったよ かすんだ山すそで
歩きつかれたよ 高速道路を
迷い込んだよ 七つの森に
さまよい出たよ 静かな海辺に
遠くまで歩き続けた 墓場の入り口まで
激しく 激しく 激しく 激しく
雨が激しく降ろうとしていたよ

何を見てた? 青い目の息子
何を見てた? かわいい息子よ
赤ん坊の周りを 狼が囲んでたよ
ハイウェーには 誰もいなかったよ
木の枝には 血が滴ってたよ
部屋の中には 血まみれの男たちがいたよ
しゃべり続ける人々の 舌はみなもつれてたよ
子供たちはみな 刃物を持っていたよ
激しく 激しく 激しく 激しく
雨が激しく降ろうとしてたよ

何を聞いたんだい? 青い目の息子
何を聞いたんだい? かわいい息子よ
雷の音は 脅迫のようだった
波の音は 世界を飲み込みそうだった
太鼓をたたく男たちは 手が燃えていた
無数のささやきを 聞いてるものはいなかった
飢えた男をあざ笑う声が聞こえた
詩人の歌声はドブの中に消えた
道化が道端で叫ぶ声が聞こえた
激しく 激しく 激しく 激しく
雨が激しく降ろうとしてたよ

誰と会ってた? 青い目の息子
誰と会ってた? かわいい息子よ
小さな子供が 死んだ子馬にまたがってたよ
白人が黒い馬にまたがってたよ
若い女の体が燃えてたよ
少女が虹のように輝いてたよ
恋にさいなまれた男がいたよ
憎しみでずたずたになった男がいたよ
激しく 激しく 激しく 激しく
雨が激しく降ろうとしてたよ

何がしたいんだい? 青い目の息子
何がしたいんだい? かわいい息子よ
どこかに身を避けたい 雨が降る前に
森の奥へと身を隠してしまいたい
人は大勢いても みな手ぶらで
毒饅頭が洪水に飲まれながら漂ってて
谷間の底の家が廃墟と化していて
人殺しの顔が不気味にのぞいていて
どうしようもない飢えが心を寒々とさせ
色といえば黒ばかり 数はゼロばかり
言葉には出せず 考えにもまとまらず
見ようとしても 姿がみえない
どうしていいか わからなくなって
歌を歌わないでは いられないような気持ちだ
激しく 激しく 激しく 激しく
雨が激しく降ろうとしてるから
 

 


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posted by Anjali Music | 23:08 | ミュージックライフ | comments(0) | trackbacks(0) |
ボブ・ディラン、ノーベル賞授賞式で発表したスピーチの全文訳を公開

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Bob Dylan2016

NMEより  Photo: GETTY

 

 ボブ・ディランは現地時間12月10日に開催されたノーベル賞授賞式でスピーチ原稿を発表している。

ボブ・ディランは授賞式に出席することはなかったが、このためのメッセージを提供し、それが授賞式では読み上げられることとなった。

 代読をするのが誰かも注目されたが、アメリカ合衆国のスウェーデン駐在大使のアジタ・ラジが代読している。 ボブ・ディランのスピーチの全文訳は以下の通り。

 

「みなさん、こんばんは。スウェーデン・アカデミーのメンバーやその他、本日出席されている名高い方々に最もあたたかい挨拶を送ります。

 

 実際にその場にうかがうことができなくて、すみません。でも、心の中では間違いなく一緒にいますし、このような誉れ高い賞をいただいて光栄だと思っていることを分かっていただければと思います。

 ノーベル文学賞を受賞するなどとは想像も予想もしていませんでした。若い頃から、この賞に値すると見なされてきた人たちの作品を読み、親しみ、吸収してきました。ラドヤード・キップリング、ジョージ・バーナード・ショー、トーマス・マン、パール・バック、アルベール・カミュ、アーネスト・ヘミングウェイ。こうした文学の巨人たちの作品は教室で教えられ、世界中の家の本棚にあり、敬意のこもった口調で語られ、そうした方々に常に深い感動を与えられてきました。そのような方々に仲間入りを果たしたことは本当に言葉もありません。

 

 これまでの受賞者の方々がノーベル賞の栄誉について自分に値すると考えたかどうかは分かりません。でも、私は想像するのです。本や詩や戯曲を書く人は世界中の誰でも心の内側深くにある秘密の夢を抱いているかもしれないと。それはおそらく心の深い部分に埋められているので、そこにあることさえも分からないものなのです。

 

 誰かにノーベル賞を受賞するほんの僅かな可能性が自分にあると言われたら、それは月面着陸と同じくらいの倍率だと考えなければならなかったでしょう。実際、私が生まれた年(1941年)やその近辺の数年間は、世界中の誰もノーベル文学賞に値する人はいないと受賞者なしになっているのです。控えめに言っても、貴重な人々に仲間入りしたと感じています。

 

 受賞の知らせを聞いた時、私はツアーに出ていました。ちゃんと受け止めるのにしばらく時間がかかりました。私は偉大な文学家、ウィリアム・シェイクスピアについて考え始めました。彼は自分のことを劇作家と考えていたのだと私は思っています。彼は自分が文学を書いているんだという意識はまったく頭になかったでしょう。彼は演劇のために言葉を書いていたのです。つまり話されるもので、読まれるものではなかったのです。彼が『ハムレット』を書いている時、彼はいろんなことを考えていたと私は確信しています。『この役に合う役者は誰だろう?』、『これはどうやってステージにすべきか?』、『デンマークを舞台にしたいのか?』など。彼のクリエイティヴなヴィジョンや野望は、間違いなく彼の念頭にあったものでしょう。でも、考えたり、対処しなければならない世俗的な事柄もあったと思うのです。『資金の手当ては大丈夫なのか?』とか、『自分のパトロンにちゃんとした席はあるのか?』とか、『骸骨はどこで手に入るのか?』とか、そういうものです。『これが文学か?』という問いは彼の意識のなかで最も遠いところにあったと私は思っています。

 

 私が10代の時に書き始めた時、そして、私の才能についていくらかの名声を得始めた時、自身の曲への志もそういうものでした。楽曲はコーヒー・ハウスやバーで聴かれるものであり、後にカーネギー・ホールやロンドンのパラディウムで聴かれることになるかもしれないとしか考えていませんでした。ビッグになることを夢見ていたとしても想像できたのはレコードを作ることと、自身の曲をラジオで聴くことぐらいでした。それこそが私の頭の中では大きな賞だったのです。レコードを作って、自身の曲をラジオで聴くことはより大きな聴衆に届くことであり、自分が試みてきたことを続けることができるかもしれないということでした。

 

 そう、それで私は自分の試みを長いこと、今まで続けてきたのです。数十枚のアルバムを作り、たくさんのコンサートを世界中でやってきました。でも、私がやってきたことのぼぼすべての中心にある不可欠なものは楽曲でした。私の曲はたくさんの様々な文化を通じて、たくさんの人々の人生の中に住処を見つけたようです。これは有り難いことです。

 

 でも、一つだけ言わなければならないことがあります。パフォーマーとして、私は50000人の前でも、50人の前でも演奏してきました。でも、50人の前で演奏するほうが難しいのです。50000人の人々は一つのペルソナとなります。50人はそうはいきません。それそれの人が個人であり、別々のアイデンティティを持ち、自分自身の世界を持っています。彼らはよりクリアに知覚することができます。自身の正直さや、それがどう才能と結びついているかを試されているのです。ノーベル委員会が非常に少数だというのは私にはよく分かります。

 

 しかし、シェイクスピアのように私もクリエイティヴな冒険の追求や人生の世俗的な事柄に対処することに支配されてしまうことがあります。『この曲に合う最高のミュージシャンは誰だ?』、『適切なスタジオでレコーディングしてるのか』、『このキーは曲に合ってるのか?』、400年経ってもかわらないのです。

 

 私は『自分の曲は文学なのか?』と問いかけたことはこれまでありませんでした。

 

 だから、スウェーデン・アカデミーには感謝します。その大きな問いについて考える時間をくれたこと、そして最終的にこんなにも素晴らしい答えをくれたこと、その両方に感謝します。

 

 みなさん全員に幸あれ。

 

 ボブ・ディラン」


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posted by Anjali Music | 11:01 | ミュージックライフ | comments(0) | trackbacks(0) |
信州筑摩三十三ヶ所観音霊場
観音霊場
画像は気ままな和煦の筆すさび様よりお借りしました。
 

 来週17日金曜日に、「信州筑摩三十三ヶ所観音霊場例大祭」で演奏をさせていただきます。

 霊場というのは「神仏の霊験あらたかな場所」の意味で、神社、お寺ほか神聖視される場所のことをいい、古くから信仰の対象になっています。現在でもお遍路さんや修験者の方などが多く訪れているようです。

 四国八十八ヶ所霊場遍路がたぶんいちばん知られている霊場めぐりと思いますが、「信州筑摩三十三ヶ所観音霊場」のように、日本各地には様々な霊場(霊場めぐり)があります。(実は伊藤公朗の実家もお寺で、八十八ヶ所霊場ではありませんが、義母が生きていたころには、よくお遍路さんがいらして「お接待」をされていたようです。)

 今回演奏させていただくのは観音霊場で、観音霊場は三十三のご寺院で構成されていることがほとんどです。「三十三」とは、観音経において観音様が 人々の悩みや苦しみを救済する為に三十三の姿に身を変えることからきています。観世音菩薩様は慈悲と智慧により、すべての人々を救済する仏様です。
 

at:<長照寺>松本市笹賀3284
第1部 9:30:法要と式典
第2部 10:00〜:
伊藤公朗:シタール/伊藤美郷:タンブーラ・うた/伊藤快:ギター・コーラス
お問い合わせ:0263-58-4444

☆お時間にご都合が つかれる方はどうぞお出かけくださいませ。観音様に喜んでいただけるような演奏会にできれば・・と心から願っています。(かなり難しい??・・・でも心を尽くしてがんばりたいです。)
 

信濃三十三観音札所めぐり(参考までにご紹介します。)

 「巡礼」とは、宗教における聖地・霊場を参拝することであり「観音巡礼」は観世音菩薩に出合う旅であります。この「観音巡礼」の起源は次のような 話があります。養老2年(718年)、大和長谷寺を開山した徳道上人が、病により仮死状態になり、そして冥土の入口で閻魔王に会ったのですが、「おまえが 死ぬのはまだ許さない。世の中にはたくさん苦しんでいる人がいるのだから三十三観音霊場を作り、人々を救うため巡礼をすすめなさい。」と告げられます。そ して現世に戻された徳道上人は「三十三の宝印」にしたがい、三十三の霊場を設けて庶民に巡礼を説いたと伝えられています。そして約270年後、花山法王に よりこの巡礼が世間に広く知れ渡るようになりました。

 札所になっているお寺にはそれぞれの縁起や伝承があり、そこにはご本尊さまにまつわる多くの物語があります。そして札所は二つとないご本尊 さまとご縁を結ぶ場所であります。日常の世界から非日常の世界の旅に出て、長い間護持信仰されてきた観音さまに出会うことで、自分自身を見つめ直し、素直 な気持ちで祈ることで清らかな心になることでしょう。救い、癒し、自己再生の旅、それが観音巡礼といえるでしょう。
 

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posted by Anjali Music | 07:58 | ミュージックライフ | comments(0) | trackbacks(0) |
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<こころをつなぐ歌>

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<シタールソロ・ALKNANDA アラクナンダ>

yatri2009
<大地のうた・YATRIヤトリ>
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